Top / 雑記:2004-10-18

諒?、亮?、涼?(2004年10月18日)

Ryoという綴りはよく見かけるが、RyouやRyohはあんまり見かけない
もちろん全部「リョウ」と読めるわけだが
では何故私はあえて判りにくい「Ryoh+諒」という組み合わせなのだろうか
「Ryo+亮」でも別に良いのでは、または「それは本人の自由で理由など考える必要も無いだろうに」と
考える人もいることであろう。
ただ、これにはこじつけとも思えるかもしれないが理由があったりする。
まず、漢字に関しての諒だが、これは真実、まこと、と言った意味がある
しかし、私はそれに反して9割はハッタリ、もしくは虚仮威し(こけおどし)で出来ていると言っても
過言ではないだろう(わざわざ自分で言うことでも無いだろうがここはあえて)
実際私が「既に出来ている」と言うときは、大抵最低限の物が出来ていて、
それを肉付けする段階であるときにこう言う
完成の目処は立っているが、実際の物が完成していようがしていまいが、
最低限の物が出来るようであれば「完成している」と断言してしまうのが私で、
もちろん物を出せと言われれば出せるようになるまでハッタリをかましてて、
ある程度までのばして完成品を出すようなのが私である。
逆を言えば、このコントロールに失敗すると、ハッタリではなく嘘になってしまうわけだが…
※ここではハッタリはあたかもそう見える、
 それがまやかしだとばれたものを嘘と定義 ここが重要で、「完成している」と言った段階ではハッタリであるが、
実際に完成した物が出てくれば、それはハッタリではなく、「真実」になる。
この諒というPNをあえて選んだ理由は、最初はハッタリであっても、最後には「真実」となるように
可能な限りやってみるという様な心意気を込めてつけたみた。
次にRyohであるが、こちらは漢字の諒とは違って深い理由はない
「英語で発音すると、一番それらしく聞こえる」からである(^^;
あと、ほかに理由があるとすれば利用者が少なく、英語表記にしたときに自分だとわかりやすいという
利点があるからだろうか…

暇があったので、自分の心の一つを明かしたつもりだが、
今後も暇があればこのようにして身の回りの私の謎(笑)や、
考えをこのようにして書いていきたいと思う。